株式会社イースタイルは「音楽天国®」を通して
【音楽を愛するすべての方に】何を貢献できるか?を
日々模索し、本気で【音楽の天国】を想造しております!
| 企業理念 |
| 創業の精神 |
“夢“いつかそれは実現できる。その“可能性”は環境にある。
環境は人を変え、人は環境を変え“夢”と“可能性”を与える。
“夢“と“可能性”に満ちた環境を創ろう!
混沌とした世界に、天国のようなすてきな環境を創ろう!
そして“夢”と“可能性”の光を広(弘)く照らし与えよう!
いつか、その恩恵を受ける時があるとすれば きっと、それは生きる源になるのだから。
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| 経営方針 |
- インスピレーション経営
- シンプルでベストコストな経営
- 中立、平等、永続する経営
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| 音楽天国®の理念 |
音楽を愛するすべての方へ天国を想造します。
音楽環境の想造
- コミュニティの想造(仲間づくり、コミュニティーづくりのススメ)
- 目的の想造(発表の場、記録の場、自己啓発などの目的づくりのススメ)
- 琢磨の想造(スーパースター創出などの切磋琢磨のススメ)
- 夢の想造(音楽関連への就労機会などの夢づくりのススメ)
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| 「音楽天国」人の精神 |
音楽を愛するすべての方へ天国を想造します。
天国づくりの心得。
- お店はお客様のものである。
- 管理しない、100%責任がとれる。
天国づくりの行動。
- ご挨拶(人格の原点)とお掃除(勤労の原点)。
- 仕組みづくり(進化の原点)。
実際の業務に置き換えると・・・
- レベル1:ご挨拶とお掃除
- レベル2:お客様ご対応(ご予約⇒ご来店準備⇒お会計)
- レベル3:仕組みづくり(気づき⇒改善⇒効果)
- レベル4:楽器・機材、設備のメンテナンスと修理
- レベル5:企画が立てられる1POP制作、2企画実施、3伝承
- レベル6:PAミキサー、レコーディング
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| 会社概要 |
| 商号 |
株式会社イースタイル
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| 設立 |
2006年12月25日
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| 本社 |
〒422ー8036 静岡県静岡市駿河区敷地1丁目3−3
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| 資本金 |
5,000千円
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| 屋号 |
音楽天国®(商標登録第5065000号)
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| 主要事業 |
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| 従業員数 |
- 社員/1名(男性1名)
- パート/10名(女性4名、男性6名)
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| 役員 |
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| グループ会社 |
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| 会社沿革 |
(1期)
2006年11月〜2007年10月 |
- 株式会社イースタイル設立。
- 事業計画を作成。
- 企業理念を制定。
- 「音楽天国」商標登録第5065000号を取得。
- ホームページを公開。
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(2期)
2007年11月〜2008年10月 |
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(3期)
2008年11月〜2009年10月 |
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(4期)
2009年11月〜2010年10月 |
- スタジオ経営・開業・起業支援事業が日本経済新聞で紹介される。
- スタジオ経営・開業・起業支援事業の経営相談会・見学会を開始。
- スタジオ経営・開業・起業支援事業が静岡商工会議所報で紹介される。
- スタジオ経営・開業・起業支援事業が静岡県(財)しずおか産業創造機構より理事長表彰を受ける。
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(5期)
2010年11月〜2011年10月 |
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(6期)
2011年11月〜2012年10月 |
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| 代表取締役社長(会社責任長)の紹介 |

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- 名前:松浦 光弘(まつうら みつひろ)
- 役職:代表取締役社長(会社責任長)
- 家族:愛妻、愛娘1人
- 座右の書:ホ・オポノポノ(SITH)の関連著書、船井幸雄先生関連著書
- 趣味:バンド、ドラム、読書
- 血液型:O型
1964年 静岡県三島市本町に生まれる(東京オリンピック開催年)
1972年 静岡県富士市へ引越す
1976年 Queen「オペラ座の夜」がきっかけで音楽とドラムに熱中
1978年 バンド結成、初ライブ
1982年 東海大学工業高校卒業
1983年 東京へ上京
1986年 バンド活動を静岡県内へ移す
1990年 夢を半ば諦め就職
1998年 バンド「ZZ」を結成
2003年 エイベックスよりメジャーデビュー
2006年 株式会社イータス専務取締役に就任
2006年 株式会社イースタイル起業
2007年 音楽天国®1号店開店
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| 生い立ちの記 |
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小学六年の時、兄の持っていたLPレコード「Queen/オペラ座の夜」を聴いた とき、その全てが始まりました。その初めて耳にした洋楽のレコード、それは幼少の私にとって大事件(カルチャーショック)でした。その場に居合わせた親友 は、私の兄のモーリスSGギターを片手に弾きマネ(今でいうエアーギター)を私は、近所の楽器屋さん(旧すみや富士本町店)で一番安かった楽器(?)だっ たドラムスティックを買い、家のソファーをドラム代わりにして“バンドごっこ”が始まりました。日曜となればこのバンドごっこに明け暮れ、自然に音楽は私 の生活の中に入り込むようになりました。
この頃の夢は“いつかスタジオで演奏してみたい”でした。 中学生になり、念願の“スタジオデビュー”を果たし、バンドも結成。楽器屋さんのご好意で、地元の富士文化センターで行われたライブへ最年少バンドとして 出 演することができました。中学生(当時はもちろん丸坊主頭)で大ホールのステージでライブを経験するなんて、大変ありがたいことです。そして、このライブ を通して多くの仲間や先輩と出会うこともできました。
私の学生時代は言うまでもなく“音楽三昧”の毎日。お陰で、学業は振るわず母の“頭痛のタネ”だった ことは言うまでもありません。今思えば、中学生の私がこうした経験ができたのも、私を取り巻く環境があったからだと痛感いたします。この素晴らしい環境は 私に“夢”と“可能性”という明かりを照らしてくれたのです。
進路を決める年頃になり、音楽か?就職か?を迫られる「審判の日」がやってきました。しかし、私の育った町は工業が盛んで、工業系に興味がない私にとって はワクワクするような就職先はなく、学業成績が低迷していた私にもちろん選択肢などありません。進路について悲観的になっていた私は、この町に夢を抱けず 可 能性も見当たりません。もはや、私にとって「審判の日」は、音楽か?就職か?ではなく、夢か?夢を諦めるか?の選択でした。
私は、迷うことなく“夢”を選 びました。
“夢“いつかそれは実現できる。その“可能性”は環境にある。
環境は人を変え、人は環境を変え、“可能性”の機会を与える。
“夢“と“可能性”に満ちた環境を創ろう!
混沌とした世界に、天国のような素晴らしい環境を創ろう!
そう、少年時代に私がその恩恵を受けたように。
私が今、やるべきことはこれしかない!42歳、私は迷うことなく、また“夢”を選びました。そして、今度は私が “夢”と “可能性”の光を広(弘)く照らします。
起業に際し、ご尽力頂いた株式会社イータス佐藤一也社長、役員並びに社員の皆様に御礼申し上げます。OWAU NO KA "I"
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